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100

おはようございます。ステキな朝を迎えていますか?

今朝は東村山市倫理法人会様からお招きを受け、経営者モーニングセミナーで講話を致しました。テーマは『100日実践中です』でした。

100日実践とは言わずもがな、東大和市駅前お掃除100日のことです。今日で67日目ということでまだ達成日を迎えていないのですが、途中経過をお話させていただきました。

そして、今日も御多分にもれず、5時にお掃除に行ってまいりました。

100という数字は不思議な力があるそうです。意味としては『たくさん・あまた』という内容が含まれます。つまり、100ではなく、何千・何万の意味を含むということらしいのです。

百獣の王ライオンは、100種類の動物の王ではなく、何万種類の動物の王様、ということですね。

・・・ということで、人のお話を聴くことから始まり、ピアノの練習・歌の練習。歌詞の暗譜のための読み込み等、100回反復すれば大抵なんとかなります。

内訳として、1日に100回するのはかなりシンドイですが、1日5回すれば20日で100回になりますね。1日10回頑張ればなんと10日でマスター出来ます。

20回となるとややシンドくなるので、簡単なことでも10回程度にとどめておくべきです。

で、この反復がなかなか出来ない。

ついついサボってしまうのですよね。

今、コロナ禍でレッスンをお休みする生徒さんが多発しています。

それはそれで良いのです。ただ、とても気になるのは、レッスン休んで自主練ちゃんとするか?ということです。

コロナで生徒が私の手から離れることによって、一抹の不安を覚えるのはそこです。

先生の力って所詮たかがしれているのです。

結局は自身の努力。それしかないのです。

とにかく10日頑張って欲しい。それだけでも相当の力がつくことを是非体感して欲しい。

それが私の願いなのです。

それでは今日も最高の一日をお過ごし下さい。

<お知らせ>

2021131リサイタルKMT

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2021.01.13 Wed l ピアノ上達法 l コメント (0) トラックバック (0) l top
おはようございます。ステキな朝を迎えていますか?

今朝の100日実践の歌で、初めてリクエストをいただきました。いきものがかりのありがとうを歌わせていただきました。

まだまだ自分の甘さを痛感致します。1分ばかりの動画でハイライトにまとめて暗譜で歌います。でもリハが充実してないと、大概途中どこかで歌詞を忘れます。・・・これがワタシの甘さです。トホホ・・・。

昨日は小金井で個人レッスンでしたが、ピアノを教えるのもある意味一苦労です。

その苦労はどういう苦労かと言いますと、苦労している生徒を楽な道に引き戻すという作業が一苦労なんです。

歌でもピアノでも、キーワードは『脱力』です。どんなに力を入れて頑張っても、それは上達の道を歩んではいません。

頑張るって難しいですね。

怖い顔をして歌うことも上達の道を歩むことにはなりません。

やっぱり笑顔でないと。

通勤ラッシュの電車の中でしかめっ面をしたサラリーマンの中年男にも、神様は笑顔という素晴らしい表情を与えている筈です。

その表情を忘れているって、神様からの贈り物を存分に用いてないってことです。

話をピアノに戻しますが、ピアノを教えるにあたって、ワタシはどうしても神という存在を抜きにしては語れなくなりました。

それはどういうことか、というと、私たちの手は完璧なかたちをしており、それは神の優れた創造物のひとつなんだ、ということです。

その神の手を、いびつにゆがめてピアノを弾いても美しい音は出ないのです。

脱力して、神が作った自然な完璧な手の形のまま演奏に臨むと、ほんとうはとっても素晴らしい音色が奏でられるのです。

そこにまた感謝が生まれ、今この時に音楽をしていられることに喜びを感じるのです。

ワタシはこれを生徒さん一人一人に伝えていきたいのです。

それでは今日も最高の一日をお過ごし下さい。

<お知らせ>

20201221青春歌の広場

2020.12.09 Wed l ピアノ上達法 l コメント (0) トラックバック (0) l top
はい。本日の二話目です(笑)。ステキな朝をむかえていますか?

それで、ピアノの姿勢とヴォーカルの姿勢と見事に共通するならば、もしかしたら空手や柔道、剣道やフェンシングなども全部一緒なのではないかしら?と考えたワタシです。

私が秘かに尊敬するジェームス・スキナー氏はセミナーの中で3cmの松材を受講者に割らせるとききます。

それも、積極的心構えで『必ず割れる、なにがなんでも達成してみせる』という強気の姿勢でのぞむと、高齢の女性でも見事に割ることが出来るんだといいます。

・・・ということで、ワタシはいつか、空手道場に体験レッスンを受けに行ってみたいなあ、とずっと前から思っています。

しかしまあ、いかんせん手を使う武道でありますから、ピアノを弾く大事な自分の手で瓦などを割ったりするのはすこぶる危険ではないかなと思いますので、この夢は永遠に夢のまんまになりそうなんですがね(笑)。

どなたか、空手などをたしなむ方、色々ご意見など伺いたいと思います。私は武道の知識もまったくございませんので、情報交換させていただけましたら嬉しいです。

それでは二回目になりましたが、今日も最高の一日をお過ごし下さい。

ボンジュールリサイタルblog用

2020.09.13 Sun l ピアノ上達法 l コメント (0) トラックバック (0) l top
おはようございます。ステキな朝を迎えていますか?

わっわっ!とうとうやってしまいました。

昨日blogが書けませんでした申し訳こざいませんでした(涙)

なので本日はふたつ書きましょう(笑)。

今日の話題は一昨日の続きです。

なぜピアノ演奏は真上からの指の動きより横から見たほうが良いのか?

これはblog上では初めて申し上げることになるかもしれません。しかし、私の生徒さんには時たま話題に出していることです。

実は私は、歌を歌い始めたのは、ピアノが上手くなりたいと熱望したからなのです。

これはニースでお世話になったジャック・ルヴィエ先生が、「鍵盤にばかりかじりついていないで、歌を歌いなさい。」とご指南を受けたからなのです。

なにかadviceをいただいた時は、受けた側(この場合即ち私)は何故それを実践しなければならないのか、わけがわかりません。

しかし、受ける側は師匠の指南を疑問に思うことは失礼です。『何故それをやる必要があるのか?』をいちいち訳を聴いているヒマがあったら田立に実践すべきなのです。

私もそのアドバイスを受けた時、そのことを愚直にやっていったならば、きっとなにか良いことが起こるであろうと、淡い期待を抱きながら実践したのです。

そして、(その過程もとても面白いことが満載なので、いつかまたこのblogでゆっくり書きたいんですけれど)今ピアノの生徒さんとヴォーカルの生徒さんと両方教えるにつれて、ある共通点を見出したのです。

大発見

ピアノを弾く際に、座る姿勢と、歌を歌う際に、立つ姿勢が

同じなのです。

文章で上手くかけるかどうかわかりませんが、ピアノは猫背にならず、頭からお尻の仙骨がしっかりと繋がっていると、ピアノの打鍵が実に思い通りに出来ます。

このことをヴォーカルの姿勢にもまったくもって応用できるのです。

歌を歌う時には足を肩幅より少し広げ、おへそから指三本下にある丹田を意識し、そこを三角形の一点として、右足左足を二点め、三点目とすれば、下半身は三角形を形づくることになり、頂点にあたる丹田はびくとも動かずに姿勢をしっかりと保ちながら発声することが出来ます。

丹田が緩んでいると、発声はふにゃふにゃになるのです。或いは間違いなく咽喉に頼る『咽喉声』になります。

咽喉声は絶望的です。咽喉声でいっくら大きな声を出そうったって、人の心には絶対届かない。不思議なモンです。

丹田をしっかりと定め、お腹から全身を使って声を出すならば、その声は不思議に人の心に届きます。

・・・ということで、再びピアノに戻りますと、同じ姿勢で臨んだピアノの音色は、本当に心に響くのです。

もっと言うならば、弾いている本人にもその響きは届きます。自在に弾きたくなるのです。

猫背は、腰がひけているということで、その行為(演奏)に対して消極的です。音楽ばかりではありませんが、物事に向かう時には自発性を持ち、積極的心構えでのぞまなければそれはうまくいきません。

即ち、まず物事をとっかかる前に『姿勢』が極めて大事だ、ということになります。

それがよくわかるのが、ピアノ演奏の横の姿です。

ちなみに私がこよなく愛し、尊敬しているピアノの横の姿はホロヴィッツとルービンシュタインです。それからリヒテル。

まったく微動だにしない上半身。しかし哲学者のごとく崇高で気品に溢れ、目を奪われます。

私も以前そうでしたが、「こう弾きますでござい~」って身体を不自然に動かしているうちは、良い演奏は出来ないのです。

未だに新しい曲に挑む時、わからないで迷いが生ずると上半身はムダに動きます。

はい。けっこう書きましたので、この続きつまり、空手に関しては今日の第二弾のblogにて書かせていただきます(笑)。

それでは今日も最高の一日をお過ごし下さい。

<お知らせ>

ボンジュールリサイタルblog用

2020.09.13 Sun l ピアノ上達法 l コメント (0) トラックバック (0) l top
おはようございます。ステキな朝を迎えていますか?

今日はお空が曇っており、数日雨になる模様ですね。

昨日は二日目のボンジュール夜の歌会でした。6名のご参加で、これまた大盛況でした。皆様誠にありがとうございました。

ピアノの生徒は極めて少ないのですが、指導をさせていただく上で様々な気づきを得ることが出来ます。

演奏の引っかかりは回数で克服することが出来ます。

生徒さんの状態を見ながら、(ああ、あと○○回練習すれば弾けるようになりそうだな。)ということが、なんだかわかるのです。

問題は、生徒さんがその事実を信じてくれるかどうか・・・。

つまり雨乞いと同じです。

本題を話す前にちょっと面白いお話を・・・。

雨乞いの儀式の時に司祭が言いました。

「あなたたち、ここに雨乞いをしに来たのではないのですか?それなのに誰も傘を持って来ていないのは、一体どういうことですか?」

雨乞いは、雨を降らすためにするものです。まず雨が降ることを信じなくてはなりません。

その際、雨が降ることを本気で信じられるのであれば、かんかん照りの現時点でのお天気だったとしても、傘を持っていく筈ですね。

そして、雨乞いは、雨が降るまで続けるのです。

ピアノの練習ってこれに似ています。

出来ることを信じなくてはなりません。

そして、出来るまで繰り返し繰り返し、練習を行うのです。

そう。まるでお百度参りみたいに・・・・(笑)。

こうやって考えていくと、ピアノ練習も宗教みたいなものですね。

『信じるものは救われる』

それでは今日も最高の一日をお過ごし下さい。

<お知らせ>

本日です。皆様のお越しをお待ちしております。

歌会フローラカルチャークラブ

2020.01.23 Thu l ピアノ上達法 l コメント (1) トラックバック (0) l top