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はい。本日の二話目です(笑)。ステキな朝をむかえていますか?

それで、ピアノの姿勢とヴォーカルの姿勢と見事に共通するならば、もしかしたら空手や柔道、剣道やフェンシングなども全部一緒なのではないかしら?と考えたワタシです。

私が秘かに尊敬するジェームス・スキナー氏はセミナーの中で3cmの松材を受講者に割らせるとききます。

それも、積極的心構えで『必ず割れる、なにがなんでも達成してみせる』という強気の姿勢でのぞむと、高齢の女性でも見事に割ることが出来るんだといいます。

・・・ということで、ワタシはいつか、空手道場に体験レッスンを受けに行ってみたいなあ、とずっと前から思っています。

しかしまあ、いかんせん手を使う武道でありますから、ピアノを弾く大事な自分の手で瓦などを割ったりするのはすこぶる危険ではないかなと思いますので、この夢は永遠に夢のまんまになりそうなんですがね(笑)。

どなたか、空手などをたしなむ方、色々ご意見など伺いたいと思います。私は武道の知識もまったくございませんので、情報交換させていただけましたら嬉しいです。

それでは二回目になりましたが、今日も最高の一日をお過ごし下さい。

ボンジュールリサイタルblog用

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2020.09.13 Sun l ピアノ上達法 l コメント (0) トラックバック (0) l top
おはようございます。ステキな朝を迎えていますか?

わっわっ!とうとうやってしまいました。

昨日blogが書けませんでした申し訳こざいませんでした(涙)

なので本日はふたつ書きましょう(笑)。

今日の話題は一昨日の続きです。

なぜピアノ演奏は真上からの指の動きより横から見たほうが良いのか?

これはblog上では初めて申し上げることになるかもしれません。しかし、私の生徒さんには時たま話題に出していることです。

実は私は、歌を歌い始めたのは、ピアノが上手くなりたいと熱望したからなのです。

これはニースでお世話になったジャック・ルヴィエ先生が、「鍵盤にばかりかじりついていないで、歌を歌いなさい。」とご指南を受けたからなのです。

なにかadviceをいただいた時は、受けた側(この場合即ち私)は何故それを実践しなければならないのか、わけがわかりません。

しかし、受ける側は師匠の指南を疑問に思うことは失礼です。『何故それをやる必要があるのか?』をいちいち訳を聴いているヒマがあったら田立に実践すべきなのです。

私もそのアドバイスを受けた時、そのことを愚直にやっていったならば、きっとなにか良いことが起こるであろうと、淡い期待を抱きながら実践したのです。

そして、(その過程もとても面白いことが満載なので、いつかまたこのblogでゆっくり書きたいんですけれど)今ピアノの生徒さんとヴォーカルの生徒さんと両方教えるにつれて、ある共通点を見出したのです。

大発見

ピアノを弾く際に、座る姿勢と、歌を歌う際に、立つ姿勢が

同じなのです。

文章で上手くかけるかどうかわかりませんが、ピアノは猫背にならず、頭からお尻の仙骨がしっかりと繋がっていると、ピアノの打鍵が実に思い通りに出来ます。

このことをヴォーカルの姿勢にもまったくもって応用できるのです。

歌を歌う時には足を肩幅より少し広げ、おへそから指三本下にある丹田を意識し、そこを三角形の一点として、右足左足を二点め、三点目とすれば、下半身は三角形を形づくることになり、頂点にあたる丹田はびくとも動かずに姿勢をしっかりと保ちながら発声することが出来ます。

丹田が緩んでいると、発声はふにゃふにゃになるのです。或いは間違いなく咽喉に頼る『咽喉声』になります。

咽喉声は絶望的です。咽喉声でいっくら大きな声を出そうったって、人の心には絶対届かない。不思議なモンです。

丹田をしっかりと定め、お腹から全身を使って声を出すならば、その声は不思議に人の心に届きます。

・・・ということで、再びピアノに戻りますと、同じ姿勢で臨んだピアノの音色は、本当に心に響くのです。

もっと言うならば、弾いている本人にもその響きは届きます。自在に弾きたくなるのです。

猫背は、腰がひけているということで、その行為(演奏)に対して消極的です。音楽ばかりではありませんが、物事に向かう時には自発性を持ち、積極的心構えでのぞまなければそれはうまくいきません。

即ち、まず物事をとっかかる前に『姿勢』が極めて大事だ、ということになります。

それがよくわかるのが、ピアノ演奏の横の姿です。

ちなみに私がこよなく愛し、尊敬しているピアノの横の姿はホロヴィッツとルービンシュタインです。それからリヒテル。

まったく微動だにしない上半身。しかし哲学者のごとく崇高で気品に溢れ、目を奪われます。

私も以前そうでしたが、「こう弾きますでござい~」って身体を不自然に動かしているうちは、良い演奏は出来ないのです。

未だに新しい曲に挑む時、わからないで迷いが生ずると上半身はムダに動きます。

はい。けっこう書きましたので、この続きつまり、空手に関しては今日の第二弾のblogにて書かせていただきます(笑)。

それでは今日も最高の一日をお過ごし下さい。

<お知らせ>

ボンジュールリサイタルblog用

2020.09.13 Sun l ピアノ上達法 l コメント (0) トラックバック (0) l top
おはようございます。ステキな朝を迎えていますか?

今日はお空が曇っており、数日雨になる模様ですね。

昨日は二日目のボンジュール夜の歌会でした。6名のご参加で、これまた大盛況でした。皆様誠にありがとうございました。

ピアノの生徒は極めて少ないのですが、指導をさせていただく上で様々な気づきを得ることが出来ます。

演奏の引っかかりは回数で克服することが出来ます。

生徒さんの状態を見ながら、(ああ、あと○○回練習すれば弾けるようになりそうだな。)ということが、なんだかわかるのです。

問題は、生徒さんがその事実を信じてくれるかどうか・・・。

つまり雨乞いと同じです。

本題を話す前にちょっと面白いお話を・・・。

雨乞いの儀式の時に司祭が言いました。

「あなたたち、ここに雨乞いをしに来たのではないのですか?それなのに誰も傘を持って来ていないのは、一体どういうことですか?」

雨乞いは、雨を降らすためにするものです。まず雨が降ることを信じなくてはなりません。

その際、雨が降ることを本気で信じられるのであれば、かんかん照りの現時点でのお天気だったとしても、傘を持っていく筈ですね。

そして、雨乞いは、雨が降るまで続けるのです。

ピアノの練習ってこれに似ています。

出来ることを信じなくてはなりません。

そして、出来るまで繰り返し繰り返し、練習を行うのです。

そう。まるでお百度参りみたいに・・・・(笑)。

こうやって考えていくと、ピアノ練習も宗教みたいなものですね。

『信じるものは救われる』

それでは今日も最高の一日をお過ごし下さい。

<お知らせ>

本日です。皆様のお越しをお待ちしております。

歌会フローラカルチャークラブ

2020.01.23 Thu l ピアノ上達法 l コメント (1) トラックバック (0) l top
おはようございます。ステキな朝を迎えていますか?

昨日は自宅のレッスンがありました。その前に訪れた眼科医では、コンタクトは明日届くとのことです。ああ、よかった。

眼科の先生は、暗闇の診察室でヌーッっと現れた怪獣のような大柄な先生で、初めにお会いした時はものすごい恐ろしかったのです。

しかし、お話すると、とびっきり優しい先生で、先生の一挙手一投足をず~っと聴いていたいくらい、ゴキゲンに明るい先生なのでした。

コンタクトレンズは最近では酸素透過型で2年が寿命だとのことですから、2年後にまたお会いできるのを楽しみにしています。

・・・・・・・ところで、その後久しぶりに自主練を致しましたが、今バッハの平均律クラヴィーア曲集に苦しめられていいます。

このところ仕事がありがたくも忙しくなり、毎日はどちらかというと即戦力、即ち初見力とか移調力とか、そのようなスキルを駆使してこなしているようなところがありますが、クラシック音楽を学ぶ時にはかの小澤征爾さんもおっしゃっておられましたが、ある程度の時間をかける必要があります。

ここへきてやや暗譜力もにぶりがちだナと自分で思う今日この頃なのですが、イヤイヤそれを嘆いていてはいけないのであります。嘆いているようなそんなヒマはありません。

例えば今まで5回弾いて暗譜出来た曲が、10回弾いてやっと暗譜出来るというのであれば、とっとと10回弾いちゃうのであります。

今まで10回弾いて暗譜出来た曲が、20回弾いてやっと暗譜出来るというのであれば、とっとと20回弾いちゃうのであります。

今まで20回弾いて暗譜出来た曲が、30回弾いてやっと暗譜出来るというのであれば、とっとと30回弾いちゃうのであります。

今まで30回弾いて暗譜出来た曲が、50回弾いてやっと暗譜出来るというのであれば、とっとと50回弾いちゃうのであります。

今まで50回弾いて暗譜出来た曲が、100回弾いてやっと暗譜出来るというのであれば、とっとと100回弾いちゃうのであります。

今まで100回弾いて暗譜出来た曲が、200回弾いてやっと暗譜出来るというのであれば、とっとと200回弾いちゃうのであります。

今まで200回弾いて暗譜出来た曲が、300回弾いてやっと暗譜出来るというのであれば、とっとと300回弾いちゃうのであります。

今まで300回弾いて暗譜出来た曲が、400回弾いてやっと暗譜出来るというのであれば、とっとと400回弾いちゃうのであります。

という塩梅に、出来なかったら出来るまで。これが全てのことの鉄則なんですよね。

我々は今、どうして歩けているのか?

それは赤ちゃんの時、はいはいから歩く段階で、我々は歩けるまで繰り返し努力したからではないでしょうか?

そして、努力の過程でワタシたちは色んな感覚を味わいます。

まず、何がナンダかわからない感じ。これがしばらく続きます。一番苦しい状態。それが初めにくるのですね。

次に、断片的になんかわからないけどわかったような感覚をつかむ時。暗闇にひとすじの光が見えた、とこういう感覚ですね。

そしてその光が徐々に大きく、明るくなっていきます。そう、ちょうどトンネルの出口が見えてきたら、その光がだんだん大きくなっていく感じですね。この時に一気に努力の波を起こします。そうすると気持ちが楽しくなってきて、努力している感覚がまったくなくなって夢中で体当たりすることが出来るようになります。

いよいよ出口。この時に更に綿密な確認をします。本当にすみずみまで感覚が行きわたっているかどうか?この作業もけっこう時間がかかるわけで、いわゆる東大生が100点満点を取るような、油断の出来ない作業になるわけです。

この作業が出来て初めて自信が持てます。

今日のこの投稿は、自分にエールを送るために書きました。ハイ。ワタシだって人並み以上にくじけるのですよ。

頑張れ頑張れ

それでは今日も最高の一日をお過ごし下さい。

<お知らせ>

201897昭和歌謡名曲カフェ

2018.09.06 Thu l ピアノ上達法 l コメント (0) トラックバック (0) l top
おはようございます。ステキな朝を迎えていますか?

昨日は小金井で個人レッスンの日でした。小金井でのレッスンは高齢者???が多い???という理由で基本30分のレッスンを展開しております。しかし、ここのところ意欲的に1時間レッスンを希望する方が増えてきました。・・・・だとするとはじめのローカルルール『高齢者なので』という概念はなんだったのでしょう(笑)。

ピアノの練習は、実は泣くほど辛い場面に遭遇することがままあります。

少々の努力では克服できないもの、それは手の形です。

ピアノを弾く指、というのは忙しく激しく動かしていればいいものではなく、寧ろ如何に動かさないで敏捷に指を運ぶことが出来るか、ということを追求する必要があります。

しかし、初心者から中級車に至るまで、或いは上級者のある割合の人の中でも、『指は出来るだけ忙しく動かすもの』という概念の呪縛にあい、そこからなかなか抜け出せない人が多くいらっしゃいます。

指をアクロバティクに動かせば動かすだけ、速いパッセージのメカニックからどんどん遠ざかっていくように見受けられます。

まずは神様が作って下さったこの私達の手の形、この形に敬意を表することからがピアノを弾く第一歩と前々から強く感じております。

・・・・・ここで終わるとわけわかんない?

ではもう少し。

ピアノはメロディーを一音一音ずつ丁寧に弾けば良いというものではなく、歌と同じである程度フレーズ感を予め持つ必要があります。

で、その神様がお作り下さった、あなたの大切な大切な『手』を(注:『指』ではありませんよ)弾くべき鍵盤に乗せておいて、そして一つの『音』ではなく『フレーズ』を一気に弾く。そうすると思うように弾けるようになります。

一音一音ずつ、というのは、その一音と一音との因果関係が皆無になってしまうのです。音も人生と一緒で、一音一音の羅列がそのまま因果関係に繋がってゆきます。

この音があるから次の音はそれを受けて、さらに強まるか弱まるかする、そしてまたその次の音がそれを受けてより強まるか、より弱まるかする。

だから、一音一音ずつ『お仕事』みたいに『こなして』はいけないのです。

文で表現しようとすると、とても難しいね。

ところで、神様はこの世のありとあらゆるものをお作り下さいましたが、ワタシはとりわけ自分の『手』を心から敬い、愛しております。・・・・・ホント、指も短いし、手のひらも小っちゃいんですけどね。でもよく働いてくれているんです。

とても感謝です。

それでは今日も最高の一日をお過ごし下さい。

<お知らせ>

201891利馬停

2018.08.29 Wed l ピアノ上達法 l コメント (0) トラックバック (0) l top