ピアノを学んで数十年。まだまだ学びに飽きは来ません。むしろ学べば学ぶほどその深さにのめりこみ、一生のお付き合いになりそうです。
ピアノを教えて感じるのはやはり、ピアノを学びたい人こそ歌を学ぶべきだということです。私も子供の頃さんざんムシしてきたスラーやレガート。これらの意味することは、歌を歌うにおいてのブレスの場所。肺の中には限られた空気しか入らないのですから、必ず歌っているうちに空気切れが起きます。その時に新たな空気を入れるタイミングがブレスの場所です。
しかしピアノは残念ながら、ブレスをしなくても指は動いてしまうのです。だからブレスの場所なんて関心を持てない。その結果呼吸のない、言い換えれば生きていない音楽になってしまうのです。
スラーを無視すれば、フレーズ感のないメロディーになってしまいます。譜面の音符を追っかけ、それを鍵盤に移すだけの作業になってしまう。それは、私の経験上から言って、ゲーム的面白さはあるものの、音楽的喜びとは全く無縁なものになってしまいます。それではつまらない。
歌はすべての人のものです。私が歌うなんてガラじゃないと思っている人!あなたこそ歌うべきですぞ。そろそろ声を大にして私はこのことを言いたいのです。
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【お知らせ】

年末のヨーデル放歌会の第一回発表会のチラシがまだ未完成ですが作成してみました。ヨーデル放歌会のヨーデルを学ぶ仲間たちが初の発表会を致します。みなさんそろってとても上手になってきました。プロのヨーデル歌手石井健雄さんのお墨付きです。どうぞたくさんの方にお越しいただき、彼らを温かい心で応援してください。入場無料でーす!
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しかしピアノは残念ながら、ブレスをしなくても指は動いてしまうのです。だからブレスの場所なんて関心を持てない。その結果呼吸のない、言い換えれば生きていない音楽になってしまうのです。
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